死と生
ちょうど1週間ほど前、祖母が92歳で天国に旅立った。
いつかは来るとも思っていたし、親戚一同も礼服用意しておけと言っていたくらいなので覚悟はしていたが、あまりにも突然すぎた。
老衰、よく粘り強く生きたよ。
1月に入り、祖母はコロナにかかってしまい、それで体力が落ち、旅立ってしまう原因のひとつになったようだ。もしコロナがなければ…と悔しい思いもある。
老人ホームにいたので病院とは違い、誰か側についているわけでもなく、ナースコールもないのかな。
朝スタッフさんが見に行ったら様子がおかしいということで、それからしばらくして亡くなったらしい。 誰も死に目に合うことはできなかった。父も伯父さんも自分も。突然すぎた。
病院にいたら…早くわかっていたら…と、ここでも悔しい思いをした。
祖母はとても優しく、いつも農業をよく頑張っていた。葡萄畑で手を真っ赤にしながら、ビニールハウスでせっせとやっていたのが印象的。美味しいものをいつもくれたり、ニコニコと接してくれて怒るところを見たことがないくらい本当に優しい人でした。
お通夜と葬儀
人生で数回あるけどとても久々だった。
身内の葬儀は20年ぶりくらい。
あの頃と違って、寺ではなくセレモニーホール。遺影は写真ではなくタブレットのようなもので祭壇に飾られる。(もちろん遺影も用意される)
ある意味新鮮だった。
それでも悲しくて苦手で辛い儀式なのはよくわかっているし、変わらない。我慢していてもいろんなことを思い出すと同時に後悔で泣いてしまった。
父親は大泣きするかと思っていたけど、全然泣いていなかった。歳をとるとそんなもんなのかな。でも自分より数倍以上辛かっただろう。
父親が辛そうにしてるのも見たくはなかった。
出棺し、火葬場に行く時は、なんというか不思議な気持ち、無感情のような変な気持ちになっていた。
最後の別れをする時にもう一度顔を見た。死化粧がとても綺麗で92歳とは思えないくらいの美しさだった。
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火葬後、最後にお坊さんの話を聞く。
白骨の御文 という有名なものを読んでいただいた。
人はいつ死ぬかわからない、その日暮らしではなくこれからのことを考えて生きろ みたいな。
祖母が自らの命を使って死とは何かを改めて教えてくれた。
精一杯生きて、生きてるうちにしかできないことをとことんやろう。そうしていつか必ず来る死を迎えよう。
昔死にたがってた自分に説教したいよ。少しは成長したかな?
悔いのないよう生きよう。マジで。
婆ちゃん
天国行ったらまた爺ちゃんと仲良く畑仕事して過ごしてくれ。
しばらくの間お別れだ。またね。